明日野郎は馬鹿野郎について
明日野郎は馬鹿野郎とよく言われますが本当にそうでしょうか
ここでいう明日野郎は馬鹿野郎という言葉は向かうべき問題を先に延ばして逃げてしまうことを指していると私は考えています。
21年人生を生きてきましたが、逃げることは悪いことという風に教えられてきました。
そうやってあなたは人生から逃げてばかりと叱られたこともあります。
確かに対処しなければならない物事に対して向き合わないという点では逃げることは良くないことかもしれません。
対処しなければ人に迷惑かけてしまうこと、例えばお客さんがいてこそ成り立つ仕事の場合、金銭が発生しているにもかかわらず仕事をしないで逃げてばかりではお客さんとしては迷惑だなとかお金を返してほしい思うでしょう
期待している物事に対して期待を越える報酬があれば人は喜びます
期待している物事と同等の場合も人は喜びはしないものの満足をします
しかし下回ってしまったときには怒りであったり呆れであったり、失望という感情を抱きます
しかし対処しなくて自分が困る事柄の場合どうでしょうか
例えば明日までにしなければならない宿題があったとしてしなかったら叱られるの自分です。さらに自分についたはずの学力もつかないでテストの時に困る可能性もあります
テストが取れない結果留年という形になれば人に迷惑が掛かってくるかもしれません。
学費を払っている親としては子どもが勉強しなかった結果もう一年学校に行くということになり学費を払わなければならない、本来ならば払わなくてもいい学費を払わなければならないということになります。
逃げて自分が困ることは結果的に人を困らす可能性があるかもしれない、逃げという選択肢を選んだ場合人だけが困るか自分だけが困るか、それとも両方困るかという3パターンあるといえるかもしれません。
「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマがありました。
新垣結衣さんと星野源さんが主演でちょっと変わった恋愛ドラマだったように思います。
逃げるということ道に対してマイナスな言葉が使われがちですが、このドラマのタイトルはプラスの用途として使われているように思います。
現実逃避という言葉がありますが、私は良くしてしまいます。
あぁ、テスト嫌だな、漫画読もう、ドラマ見ようとか
現実逃避をした結果テストは悲惨に終わり自分自身が困るという結果になったことが何度もあります
それでも私が現実逃避をやめないのは、被害が自分の中で完結しており、そこまで痛い目に合っていないためだと思います。
だらだらと何が言いたいかわからないような文章を書いています。
今更ですが簡潔に書き表すと逃げるという選択肢は決してマイナスなことではないということです。
人に迷惑をかけてはいけません
逃げてはいけません
そうやって私は育ちました
そのために私は自分が逃げを選ぶときに自分に対してすごく罪悪感を抱えています。
大人になったら逃げなければならない時が何度も出てきます。
別に子供でもあると思います。
いじめに正面から立ち向かったところで解決しないでしょう。
現実は漫画や小説ではありません、いつもハッピーエンドというわけにはいかないのです。
じゃあ学校にいかなくていいんだよ、学校に行く義務はないんだよとどこかの少年革命家のようなことを私はいいませんが、学校を変えるのは手段の一つだと思います。
いじめという立ち向かわなければならない問題から逃げ他の学校に移るのは戦略の一つ
もしこのままいじめられて死ぬという選択肢を選んでしまえば人生自体ゲームオーバーです
逃げてもいいんじゃないかと思う理由の一つをいじめという例を用いて書きました。
それでも昔は立ち向かったんだ、立ち向かわなきゃ解決にならないだろ、立ち向かって傷つく経験が必要だと思う人もいるかもしれません。
私はそれはそれでその考えを尊重したいと思います。
いやいやそれは違うでしょ、と否定しても何も生まれません。
考え方が間違っているとかあってるなんて時と場合にもよるし、人が決まられることではないと思います。
逃げるという行動は戦略の一つであり、別に逃げじゃない。
明日野郎は馬鹿野郎は戦略の一つだということです。
まぁ明日やろうと思って忘れてしまうことがあったり事態が悪化することもあるので時と場合にもよりますが。
逃げという選択肢は自分自身と向き合う時間を作ってくれます。
人生で自分自身と向き合う時間は必要なものです。
一旦逃げて回復して考えて次の行動に移せるまで考えたらいいんんです。
ポケモンの逃げるという選択肢は人生にとっては必要な選択肢かもしれません。
ところでお前は誰なんだえらそうに語りやがってと感じる人もいるかもしれません。
わたしは明日子と申します。現在人生21年目ので思ったこと感じたことをどこかにまとめてアウトプットしたいと思ったのでブログを始めることにしました。
ここは私が逃げるための場として使う逃げ場です。
もし人生に疲れて逃げたいなと思った人がいて、その気休めにでもなれば幸いだなと思います。